芸術の魔法にかかった染色家

芸術の魔法にかかった染色家・成瀬 優

 

 

徳川家康の時代から東京の染色文化を支えた神田川

その神田川の支流、今は暗渠化(アンキョカ)されている和泉川沿いに佇む小さなアトリエ、

Silk Gallery。

 

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元々3人の夢見る若者が営んでいた小さなオートバイ整備場だった建物を

弟子と2人でアトリエにリフォームし、そこで数々の染色作品や独創的なキモノを

日々創り出している人物こそ 染色家・成瀬 優 (以下:成瀬氏) その人だ。

 

 

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~不思議なアトリエ~

 

成瀬氏のアトリエを訪ねると、まず驚きの光景が目に映る。

本人がDIYで作ったという趣味のピアノを練習するための防音室やウェイトトレーニングの道具があちらこちらに…

そしてその天井にはまるでライト兄弟の飛行機の翼のような伸子張りされたきものや帯の生地が張り巡らされている。

きっと誰もがこのアトリエに入った瞬間、成瀬氏の世界観に迷い込み、好奇心を抱くことだろう。

 

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~芸術難民~

 

今年で66歳を迎える成瀬氏は自身のことを「芸術難民」という。

 

「みんな若い時は芸術で食っていこう!って夢見て、とりあえずその道で頑張ってみるんだけど、大体はお堅い勤め人になっちゃうね。仕方がないけど。

でも、そんな中にも40歳になっても、50歳を過ぎてもアルバイトしながら絵を描いたり、舞台やったり、楽器弾いたり、そういう人たちもいるんだよね。

この、芸術の魔法にかけられちゃった人たちのことを『芸術難民』っていうのだけど、僕もそのうちの一人かな。

今、僕の同級生はみんなセカンドライフを満喫しているようだけれど、僕は80歳くらいまでは現役でがんばらないとなぁ・・・だから筋トレとかジムに行ったりして身体を鍛えてるんだよ(笑)」

 

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一見、自由な芸術家に見える成瀬氏にも、きっと人には見せない苦労があるのだろう。

 

 

~ものづくりの葛藤~

 

成瀬氏の作品の多くは一般的な着物とは一線を画した独創的な作品が多い。

鮮やかに変化するブルーに染められた作品、緻密な糸目友禅で描かれた古典的作品、クラゲの帯。 

 

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一見すると統一感のなさを感じるが、同じ作者が創り出しているとは思えないほど多種多様な表現技術を用いた作品の数々の中に、成瀬氏の芸術家としてのものづくりの信念と葛藤が見えてくる。

 

成瀬氏は25歳の時に東京新宿の友禅工房の伝統工芸士水野保氏に弟子入りをし、10年半の修行を経て、1990年に独立。主に舞台役者の衣裳制作を手掛けてきた。いわゆる着物の世界でもお誂え、オートクチュールの世界で活躍してきた人物だ。

 

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 そんな成瀬氏だが、舞台衣装の制作から離れ、15年ほど前から一般のエンドユーザーさんを対象にした作品作りを始め、全国各地の呉服店や百貨店に出向く機会が多くなってきたという。

 

成瀬氏にものづくりについての想いを聞いてみた。

 

「昔は今みたいにエンドユーザーさんの前に出て売ることはなかったので、師匠から受け継いだもの、問屋さんからいいといわれるようなものしか作らなかった。

お客さんが僕の作った着物をどう感じるかとか、そういうことを考えてものづくりはしてなかったなぁ。ひたすらにいいものを作りたいとおもっていた。

 けれども、今は何よりも、その人がより綺麗になったり、カッコよくなったり、その女性が今よりも素敵な自分になるためのステップアップを僕の着物で手助け出来たらいいなぁと思う。」

 

芸術家、表現者としての矜持を持ちながら、世の中で求められるものを創る難しさはあるのか? と聞くと、

 

「世の中に媚びずに作ったつもりの作品、本音ではこんなものあってもしょうがないなあと思っている作品でも、お客さんによってはもの凄く興味や共感を抱いてくれたりするんだよね。

例えばこのクラゲのシリーズもその一つ。

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ある日、水族館で水クラゲを見る機会があったんだけど・・・面白いなあ~って、2時間くらい見てたかな(笑) あぁ、着物にしてみようと思って、作ってみたはいいのだけれど、果たしてこんなものが売れるのかな?なんて思った。

 

しかし、これが意外にお客さんにウケたんだよね。

クラゲなんてって思ったけど、今じゃ山形県鶴岡市に世界一のクラゲ水族館まであるくらいだし、クラゲ好きって案外いるんだなってことが分かった。

 

自分では、世の中に媚びていない尖った作品だ!と思っていても、意外とお客さんは今までとは違ったものに憧れであったり興味を抱いてくれるから面白い。

 

これからもそういう風に、女性に憧れられるような作品を創っていきたいよね。」

 

 

そして最後に成瀬氏はこう語った。

 

 

「僕は美術教育を受けずに独学でやってきたから、正統派の人から見たら独学っていうのがすぐわかる。それが僕のコンプレックスだよね。」

 

とは言っても、学校で学べなかった技術力や表現力を、自らの探求心と絶え間ない努力で賄ってきたのが染色家・成瀬 優なのだ。

 

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アトリエのピアノを見て思う。

クラシック音楽が正統派であるなら、きっと成瀬氏は気のままのジャズミュージシャンなのだ。

気のままの芸術家、成瀬 優の魅力の源泉は、

芸術の魔法によって生み出された唯一無二の独創性にあるのだろう。

 

 

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Thing to wear

When japanese write Kimono in Kanji, it means "Thing to wear".

it is quite simple but i think it has very impressive senses that japanese originally have got for clothing.

 

Just imagine.

When you wear normal clothes like t-shirts and jeans, are you conscious of wearing them? 

My answer is not often conscious of "wearing something". 

 

Wearing Kimonos tend to be seen that is difficult to wear and is easy to come loose.

It is true sometimes, but i think this characteristic makes Kimonos as it is.

 

In other words, Kimonos make you more conscious of wearing  compared to the other clothes.

 

Good things brought you by being conscious of wearing are these.

You become more conscious of your posture and move as it is described as "Shosa-所作" in japanese.

Its good for your body, health and beauty.

Also, being careful not come loose means you care about people around you.  In other words, "consideration" or "polite attitude".

 

Kimono is a tool that can express your humanity, personality and dignity.

 

 

 

「着物」

このように漢字で着物と書くと、「着る物」であることを意味します。

かなりシンプルですが、ここに衣服に対する日本人独特のとても印象的な感性が読み取れます。

 

想像してみてください。

あなたが普段、シャツやジーンズを着ているときに、それを着ていること」を意識していますか?

私はあまり意識していません。

 

着物を着ることは難しく、着崩れしやすいと思われがちです。それは時に事実だと思いますが、その特徴が着物を着物としているのだと思います。

 

言い換えれば、着物は洋服と比べて、

着る人にとって、着ていることを意識させてくれます。

 

着ていることを意識することの良さは

姿勢や動き(所作)を意識することで、身体や美容に好影響があること。

また、着崩れを注意することは、自分の周りの人を気遣うということ。「思いやり」や「礼儀正しさ」に言い換えられるでしょう。

 

着物は着る人の人間性や人格・品格を色濃く表現できるツールでもあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

Ideas and opinions 1-3 End of this chapter

I've been working as a Kimono Salesman for around 8 years.

In the beginning, my CEO gave me a chance to work at head office in Kyoto, the center city and industrial cluster of Kimonos, to have experiences. 

 

I've learned basic skills of Sales and though salesmans in my company are financially independent, i could learn about a bit of small business management from my boss at that time.  

 

Also, It was valuable time to learn the supply chains and what people in each part of the chains actually does and think.

Because my company is a wholesaler, i could met people in both upstream and downstream companies and had connections with them. 

 

After two years of working at the head office, i came back to Tokyo branch office.

And now, I hold two posts, sales manager and buyer, concurrently and I supply kimonos to independent outlets as well as department stores.  I’m also an organiser. I organise about four to five kimono-selling events per month ranging in size. 

 

 

 

This is a very short story of me until today.

And just as i mentioned at the beginning of this blog's chapter,

I have got ideas and opinions from experiences through working in this Kimono industry.

From next, i would like to express my ideas and opinions.

 

 

 

 

きものの営業マンとして働き始めてから約8年が経ちます。

東京支社に入社してすぐ、今の社長から京都本社で働かないかと打診されました。京都はきものの本場であり、産業集積地でもありますので、経験を積むには願ってもみないチャンスだと思い、すぐに京都行きを決断しました。

 

京都では営業の基本的なスキルを学びました。また、今の会社は営業マンが独立採算制で動くため、その当時の上司から商売や経営についても少し学ぶことができました。

 

また、きもののサプライチェーンのそれぞれに携わる人たちの考えや具体的な仕事などを知れた貴重な時間でもありました。

私の会社は卸売業の会社なので、川上から川下までの方々と出会い、繋がりを作ることが出来ました。

 

そして、2年間の本社勤務の後、東京支社へ戻り営業マネジャーとバイヤーを兼務しながら、小売店から百貨店までを得意先に仕事をしています。また、得意先における催事企画も営業業務で、規模はバラバラですが、月に平均4催事のマネージメントもしております。

 

 

駆け足でしたが、私の簡単な経歴でした。

このblogチャプターの冒頭に述べたように、次回からは今日までの経験から得たアイディアや意見を積極的に発信していきたいと思います。

Ideas and opinions 1-2

Though people would think that the change of my life decision, Jazz Musician to Kimono Salesman, is quite differ, Kimono and traditional culture weren't actually very new for my life.

 

 

~Childfood Memories~

Talking about my parents, both of them like to do Japanese traditional things. Actually, my mother has a license of Kitsuke-shi (Kimono dressing teacher) , my late father had played Shakuhachi (Japanese traditional instrument which made from bamboo) since he was in college.

 

Especially, most srongest motivation to Japanese traditional culture is from my memory of my family participate in local festival every summer.

 

In the festival, we wear Matsuri-Banten, a traditional clothes, when we carry portable shrine and i thought it was the coolest style which an adult can be and I always longed for being a part of them. An atmosphere of the festival made my blood to boil strongly.

 

 

I thought these backgrounds are making "My Blood".

 

 

So, After I notice that, I was satisfied getting an idea of working for traditional culture through these life experiences and living environment.

 

 

 

To be continued..........

NEXT: Start working as a Kimono salesman

 

 

 

ジャズミュージシャンからきもののセールスマンへの方向転換はかなり違うものだと思われがちですが、実は、僕にとってきものや伝統文化は身近なものでした。

 

 

~子供のころの思い出~

僕の両親のことについて少し紹介しますと、僕の両親は二人とも日本の伝統的なものやことが好きでした。実際に、母は着付師の免許を持っていますし、亡くなった父は学生のころから尺八を演奏していました。

 

特に僕が日本の伝統文化へ動機づけられた思い出は、毎年夏に家族で地元のお祭りに参加することでした。

 

お祭りでは祭半纏を着て神輿を担ぎます。

幼心から、祭半纏を着た大人たちは1年の中で1番恰好良く見えました。そしていつもそんな大人に憧れを抱いて、いつか自分もああいうカッコいい大人になりたいと思っていました。祭りの空気が僕の血を騒がせていました。

 

 

この体験が、今の自分の血の根本を作っていると気がつきました。

 

 

ですので、このような人生経験や生活環境を通して、伝統文化に携わった働き方をするというアイデアにたどり着いたとき、妙にしっくりときました。

 

 

 

続く...

次回:きもの営業マンとして働き出す。

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Ideas and opinions 1

It has been long time since i express something i have in my mind in public place like blogs and SNS.

I have worked in one company for about 8 years, I think its good time i restart to express my ideas and opinions.

Before my expressions, i begin to look back about myself and make readers of this blog to know about me.

 

 

~Back in the days~

When i was in college, i belonged to jazz club as a guitarist who had a lot of energies and dreams and passionated to express both in music and words. 

 

I've spent great times with music and my friends and i think that days gave me fabulous experiences in my life.

 

Although i had gotten great human relationships during these days, i begun to foget about that after started working.

 

 

~NYC and Traditional culture~

Working as Kimono Salesman was the answer that i got after i challenged my music skills in NYC.

 

Because every musicians who I've met in NYC had much more energies and greater skills than me, I noticed myself wouldn't be able to success in the music world.

 

A Blood was tortally different.

 

After i got back to Japan, i had taken a look at myself again.

"What can I do for the rest of my life?"

"What is my originality?"

 

The answer i got was "Traditional culture".

 

So, i started to find company which related to traditional culture and found out the company that sell Kimonos.

 

 

 

To be continued..........

 

 

SNSのような公の場所で自分を表現することは久しぶりです。1つの会社で約8年間勤めてきたので、自分のアイデアや意見をアウトプットすることを再スタートするのには今がいい時かなと思ってます。

アウトプットし始める前に、このブログの読者に僕がどのような人間かを知ってもらうことと、自分を振り替える意味で今までの自分の軌跡を簡単に辿っていきたいと思います。

 

~学生時代~

大学の頃はジャズ研究会にギタリストとして属し、エネルギーと夢に溢れ、音楽や言葉を表現することに情熱的でした。

 

音楽と友人と共に充実した時間を過ごし、人生において素晴らしい経験を積めていたと思います。

 

そんな日々の中で、僕はかけがえのない人間関係を得ることができました。けれど、就職をし、働き始めてからその大切なものを忘れ始めました。

 

~ニューヨークと伝統文化~

学生時代に自分の音楽力を試す武者修行の為にニューヨークに行ったことは、今、きものの営業マンとして働いていることのきっかけとなりました。

 

ニューヨークで出会った全てのミュージシャン達はエネルギー、スキル、情熱において自分よりも遥かに凌ぎ、自分は音楽の世界で食べていくことが出来ないという挫折感を僕に与えました。

 

根本的に血が違う。

 

日本に戻り、自分を見つめ直しました。

「人生を通してやれることはなんだろうか」

「自分のオリジナリティはなんだろうか」

 

 

答えは「伝統文化」でした。

 

 

それから、思い立ったが吉日、プロミュージシャン志望から一転して就職活動を始め、今の会社(呉服総合卸売商社)に入社しました。

 

 

続く…